最近、カメラ(ベルビア)に思うこと
今回は、カメラに対する今の自分の気持ちを書きますので興味の無い方はスルーして下さい。m(__)m
追記有り
最近、本当に何十年ぶりに「アサヒカメラ」を定期購読しております。
昔、憧れのカメラのニューフェース診断室を穴が空くほど読みあさり、フォトコンに送られてくる写真のコメントを読み、巻頭特集の作品に圧倒され田舎の少年は素晴らしい世界に憧れておりました。
あれから四半世紀以上たち、手元にはフラッグシップ機があり、憧れだったLレンズのラインナップも揃えました。
しかし、当時と違うのはカメラがデジタル化された事でしょう。
デジタル化はとても素晴らしい事だと思います。
しかし、今月号の特集を読んで胸の中の「もやもや」していた物が少しわかった様な気がして、こんな事を書こうと思ってしまいました。
「解像力と写真力」
そこには、大好きだったベルビアが大検討している記事がのっていました。
昔の彼女にバッタリと会った様でした。
今はPCで簡単に等倍画像が見られます。
しかし、ソレってアマチュアカメラマンの自分にとって良い事なのでしょうか?
35mmのボジを3×とかのルーペで真剣に選んで見ていたときと、根本的に選び方が違ってしまったような気がします。
変なところにこだわりすぎている自分に気が付いてしまいました。
ソレに気が付いたから劇的に写真が変わると思わないのですが、なんか凄く大切な物を見落としていた様な気がします。
「夕日の赤が、とても悲しく見える写真」
「自分が感じた花の香りが写る写真」
「街のざわめきが聞こえるような写真」
そんな写真が撮れたら、何も考えることはないのでしょうが、なかなか表現することは難しいですね。
でも、
デジタルをフルに生かして、写真を素材としてとらえたら表現方法も変わってくるかもしれませんね。
下の写真は、以前アップした写真をDPP で再度現像しました。。
この写真はアップしていないかもしれませんが、普通に屋外で撮ったバラをスポットで表面だけを照らしたようにしてみました。
「薔薇 Violet」の1枚目を少し幻想的?に現像しました。
こちらも「薔薇 Pink」の4枚目。
咲き誇る若い薔薇のエネルギーが炎のように燃え上がり・・・。
果たして、上記の写真がよいかは分かりません。
しかし、こんな風に表現できるならたまには遊んでみても良いかもしれません。
綺麗に見たままを写せる素晴らしさ。
簡単に写っているかを確認できる便利さ。
でも、写すだけで終わってしまうのも本当の意味で、今のカメラを理解していないのでは?と思う今日この頃です。
本当は、このことに対して色々なご意見、アドバイスを頂きたいと思うのですが、まだ自分の中でも整理が出来ていない部分もありますので、「ヒトリゴト」にしました。
追記
今回、この記事を読んだ方からアドバイスを頂きました。
その方に返信しながら気がつきました。
今、自分の中で「もやもや」している気持ちが。
それは
最近まで、フィルムカメラを処分できなかった理由を紙面上で見せつけられたからだと思います。
確かに、フィルムを使うには結構コストもかかります。
でも、デジタルとの棲み分けをちゃんとしている方もいらっしゃいます。
それが出来なかった、自分に反省したのかなと思います。
新たな展開に進むか、このままいくかゆっくりと考えていきたいと思います。
追記有り
最近、本当に何十年ぶりに「アサヒカメラ」を定期購読しております。
昔、憧れのカメラのニューフェース診断室を穴が空くほど読みあさり、フォトコンに送られてくる写真のコメントを読み、巻頭特集の作品に圧倒され田舎の少年は素晴らしい世界に憧れておりました。
あれから四半世紀以上たち、手元にはフラッグシップ機があり、憧れだったLレンズのラインナップも揃えました。
しかし、当時と違うのはカメラがデジタル化された事でしょう。
デジタル化はとても素晴らしい事だと思います。
しかし、今月号の特集を読んで胸の中の「もやもや」していた物が少しわかった様な気がして、こんな事を書こうと思ってしまいました。
「解像力と写真力」
そこには、大好きだったベルビアが大検討している記事がのっていました。
昔の彼女にバッタリと会った様でした。
今はPCで簡単に等倍画像が見られます。
しかし、ソレってアマチュアカメラマンの自分にとって良い事なのでしょうか?
35mmのボジを3×とかのルーペで真剣に選んで見ていたときと、根本的に選び方が違ってしまったような気がします。
変なところにこだわりすぎている自分に気が付いてしまいました。
ソレに気が付いたから劇的に写真が変わると思わないのですが、なんか凄く大切な物を見落としていた様な気がします。
「夕日の赤が、とても悲しく見える写真」
「自分が感じた花の香りが写る写真」
「街のざわめきが聞こえるような写真」
そんな写真が撮れたら、何も考えることはないのでしょうが、なかなか表現することは難しいですね。
でも、
デジタルをフルに生かして、写真を素材としてとらえたら表現方法も変わってくるかもしれませんね。
下の写真は、以前アップした写真をDPP で再度現像しました。。
この写真はアップしていないかもしれませんが、普通に屋外で撮ったバラをスポットで表面だけを照らしたようにしてみました。
「薔薇 Violet」の1枚目を少し幻想的?に現像しました。
こちらも「薔薇 Pink」の4枚目。
咲き誇る若い薔薇のエネルギーが炎のように燃え上がり・・・。
果たして、上記の写真がよいかは分かりません。
しかし、こんな風に表現できるならたまには遊んでみても良いかもしれません。
綺麗に見たままを写せる素晴らしさ。
簡単に写っているかを確認できる便利さ。
でも、写すだけで終わってしまうのも本当の意味で、今のカメラを理解していないのでは?と思う今日この頃です。
本当は、このことに対して色々なご意見、アドバイスを頂きたいと思うのですが、まだ自分の中でも整理が出来ていない部分もありますので、「ヒトリゴト」にしました。
追記
今回、この記事を読んだ方からアドバイスを頂きました。
その方に返信しながら気がつきました。
今、自分の中で「もやもや」している気持ちが。
それは
最近まで、フィルムカメラを処分できなかった理由を紙面上で見せつけられたからだと思います。
確かに、フィルムを使うには結構コストもかかります。
でも、デジタルとの棲み分けをちゃんとしている方もいらっしゃいます。
それが出来なかった、自分に反省したのかなと思います。
新たな展開に進むか、このままいくかゆっくりと考えていきたいと思います。
by osshan
| 2010-06-04 14:59
| 100LMACRO